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代表弁護士 福永憲章 プロフィール

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昭和46年鹿児島県鹿屋市専業農家の長男として誕生

平成2年3月鹿児島県立鹿屋高校卒業

平成8年3月一橋大学法学部卒業

平成13年4月最高裁判所司法研修所第55期司法修習開始

平成14年10月鹿児島県弁護士会登録 アーバンリバティス法律税務事務所入所

 

事務所外での活動

昭和46年鹿児島県鹿屋市生まれ
専業農家の長男。やせっぽっちの体型ながら、小学5、6年生の2年間は柔道スポーツ少年団に所属。試合開始15秒で、10㎝以上身長の低い相手に見事に背負い投げで投げられ、気づいたら床に仰向けになっていたことあり。不思議と全く痛みもない。なんとその相手は県代表にもなるような凄腕だった。そのとき悟ったこと。

「本当に強い人は、闘う相手に何の痛みも感じさせずに負かすことができる」

 

中学に入り、バレーボールを始める。当時流行っていた「ロンパン」といわれるブカブカの体育パンツを穿き練習に励むも、一つ上の憧れの先輩女生徒から「あんたけっこう脚短いよね」と言われショックを受ける。そのとき悟ったこと。

「自分の目と世間の目は違う」

 


平成2年3月鹿児島県立鹿屋高校卒業
高校3年間をバレーボールに捧げつつ、周りに押しつけられて生徒会長に立候補、そして当選。そのとき悟ったこと。

「5%の意思で決まってしまう民主主義もあるんだ」

 

平成8年3月一橋大学法学部卒業
懲りずにバレーボール部に所属。しかも体育会系。180㎝、190㎝がぞろぞろいる中、174㎝で奮闘。ブロックに跳べども跳べども、相手のエースはそれをあざ笑うかのようにその更に上から打ち込んでくる。そのとき悟ったこと。

「どんなに経験を積んで頑張ってみても、人には向き不向きがある」

 

平成13年4月最高裁判所司法研修所第55期司法修習開始
裁判官になりたいと目指した司法試験。受かってみると「やっぱ故郷の役に立たなきゃ」という思いに突然駆られ、鹿児島で弁護士になることに。そのとき悟ったこと。

「計画通り行かないこと、それもまた人生」

 

平成14年10月鹿児島県弁護士会登録
アーバンリバティス法律税務事務所入所。退所する平成24年までに約1000件の示談交渉事件、訴訟・審判・調停事件に対応。受けた法律相談はその倍以上になると思われる。鹿児島県弁護士会での主な活動として、人権擁護委員会委員長、国際委員会委員長、弁護士会副会長(会報委員会委員長兼任)などを経験。弁護士としての活動の傍ら、鹿児島青年会議所に入会し、地域貢献活動に勤しむ(H15 ~ H23)。宇宙を活かしたまちづくり委員会委員長(H18)を経験したことから、今でも種子島や内之浦からロケットが発射されると聞くと、妙にウキウキ。同会議所の理事役員を平成22年まで5年間務める中で、仕事終わりに夜中の12時、1時頃まで、鹿児島のまちづくりについて「あぁでもない、こうでもない」と、今思うと赤面したくなるくらい純粋に、青臭い議論に没頭したことも。そのとき悟ったこと。

「深夜1時の自分と、翌朝9時の自分は違う。それでも両方自分。」

 

その他、次のような公的活動にも従事。
姶良病院医療観察法病棟外部評価会議委員
鹿児島県留置施設視察委員会委員
鹿児島県精神医療審査会委員

 

平成24年4月留学のため上記事務所退所

 

平成27年9月豪州RMIT 大学EMBA(経営学修士経営幹部向けコース)取得
10年間こつこつ貯めた貯金をはたいて、家族を伴いオーストラリアへ。MBAのあまりのハードさに、留学前にボンヤリ抱いていた“カンガルーと戯れるバラ色の留学生活(笑)”は露と消え、元々太ってるわけでもないのにストレスから3ヶ月で6キロ痩せる。その分、MBAの経験で得たものがとてつもなく、予想以上に大きかったことは嬉しい誤算。そして、家族ぐるみで知り合いになった、現地の人々(オーストラリア生まれの人々だけでなく、タイ、アイルランド、中国、インドなど様々な国で生まれた人々)から聞くそれぞれの国の話は興味深く、何より、その温かさに触れたことは一生忘れられない宝物に。そのとき悟ったこと。

「人生に苦難があるとすれば、宝物を見つけるために通らなければならない道を通ることではなく、その道を恐れて立ち止まってしまうことだ。」

 

平成27年10月アイビスクラクス法律事務所設立